YMOが流行っていた頃、僕は中学生でいた。
少ないお小遣いから「ソリッド・ステイト・サバイバー」のアナログレコードを買いました。
今はCDで持っているのですが、懐かしいですね。
僕とYMOの出会いはいとこの車に乗ったら、YMOの「公的抑圧」のテープがかかっていて、
それを聴いたのが始めです。
70年代後半というと、テレビ番組ではピンクレディー、キャンディーズ、沢田研二、山口百恵さんたちの歌謡曲が充実していた時期です(レコードコレクター2003年2月号より)
YMOはある意味オルタナティブなバンドという位置づけだったと思います。
一流のミュージシャンが集まってコンピューターを使って音楽を作るという試みは当時としては画期的なコンセプトだったと思います。
音楽評論家の誰もが、コンピューターで打ち込みをするという時代が来るとは予見していなかったとレコードコレクター2003年2月号に書かれてました。
今だとパソコンと鍵盤とオーディオインターフェイスがあればネットでソフトシンセもありますから、組み合わせて安価に曲を作ることが出来ますが、YMOの音はお金が相当かかっていたのではと思います。
初期のYMOはファンファーレ的な要素がかなりあったと思います。ポップでキャッチーな音。
細野晴臣がディスコでヒットするような曲を作ろう・・・・といってファイアークラッカーを作ったのだそうです。
見事に狙いはあたって、R&Bチャートにチャートインという快挙を成し遂げたようです。
アメリカ人は無国籍なYMOの音楽を聴いて、まさか、日本人が作ったとは思わなかったそうです。
いかにもYMOという音を挙げておきます
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